2008年08月13日

東条元首相の終戦直前手記見つかる…14日に自殺決意記す

東条元首相の終戦直前手記見つかる…14日に自殺決意記す
 東条英機元首相が、太平洋戦争の終結直前の1945年8月10〜14日に書いた手記が、国立公文書館(東京都千代田区)に所蔵されていることがわかった。
 手記には、終戦に反発する東条元首相の「本音」が散見され、研究者は「歴史的に価値ある資料」としている。
 同館によると、手記は東京裁判で東条元首相の弁護人を務めた清瀬一郎氏が法務省へ寄贈した資料の一部。鉛筆書きの肉筆メモのほか、60年代に和文タイプで打ち直された資料がある。法務省が99年度に同館へ移し、昨年から一般公開の扱いとなった。
 8月10日の手記では、「東亜安定と自存自衛を全うすることは大東亜戦争の目的なり、幾多将兵の犠牲国民の戦災犠牲もこの目的が曲りなりにも達成せられざるにおいては死にきれず」(かな部分は原文ではカタカナ)と、重臣が集まった懇談会での自身の発言要旨を記録。
 13日には、「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりしところ、これに基礎を置きて戦争指導に当りたる不明は開戦当時の責任者として深くその責を感ずる」と自分の考えを記し、当時の鈴木貫太郎内閣や国民を批判している。
 終戦前日の14日には、「大義に殉ぜる犠牲もついに犬死に終らしむるに至りしことは前責任者としてその重大なる責任を痛感する。事ここに至りたる道徳上の責任は死をもっておわび申上ぐる」と自らの死を決意している。東条元首相は終戦後の9月11日に拳銃自殺を図り、一命を取り留めた。
 昭和史に詳しい作家の半藤一利さんは「終戦直前の手記が公になるのは初めてで、価値がある。終戦間際の揺れる思いがよく分かり、戦況の不利を国民や当時の指導者のせいにする本音が表れていて面白い。終戦直前まで、東条は軍人として戦争継続をあきらめていなかったことは意外だった」としている。
 また、東条元首相に関する著書があるノンフィクション作家の佐藤早苗さんは「東京裁判中の手記は明らかにされていたが、終戦前のものは聞いたことがない。感情をあらわにした表現もあり、当時の政府幹部が終戦に傾いていくのを、裏切られたような気持ちで見つめていたのではないか」と話している。


 記事ではメモの一部抜粋しか見ることが出来ませんが、確かに面白い内容です。当時の戦争継続派の観点は国体の護持が最優先であったことからすれば、裏切られたという気持ちがメモに現れるのは当然でしょうね。東条元首相からすれば沖縄を米軍に制圧されたとはいえ、本土侵攻はまだ許していないことからすれば、数だけは数十万、いや150万近くを動員できたと言われている陸軍で本土決戦(決号作戦)に固執する感情があったのでしょう。

 しかし、広島、長崎に投下された新型爆弾(原爆)、ソ連赤軍の満州侵攻、欧州戦線の終結、日本海軍の機能停止、数だけで装備が行き渡らない陸軍などの材料から判断すれば東京陥落はゲリラ戦などを考慮しても時間の問題でありましょう。

 現代の価値観で東条元首相のメモを批判するのは簡単です。しかし、歴史は当時の価値観でもって判断しなければ全く意味を持たないことを意識しつつ分析することが大切ですね。自戒を込めて。
posted by やくも at 14:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史
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